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最終回「上手い歌より、いい歌を」

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 さて、師走まっただ中、世間の年末商戦やらクリスマスイルミネーションとやらで浮き足立ったような街の雰囲気になじめない僕ですが、それでもこの時期になるとどうしてもクリスマスソングを歌う場面があったりします。
 毎年毎年聴き飽きるんじゃないかって思うんですが、それでも良い曲はやっぱり良い曲なわけで、スタンダードと呼ばれる意味をあらためて実感したりします。
 
 というわけで、今回のテーマ(一応最終回なのかな?)は「上手い歌より、いい歌を」ことでお送りしたいと思います。

 僕が本気でボーカリストを目指したのは今から約20年前(そんなに経ったんだなぁ)、とある音楽事務所兼レッスンスタジオに、ものは試しということで通い始めました。
 当然ながら、当時はいまとは比べ物にならないくらいまともに歌えたわけではないのですが、それでも自信だけは過剰で自分はプロになるんだって、疑いもしなかったのを今でも覚えています。
 その頃、はじめて受けたボイトレのその意味もわからず、とにかくうまくなりたいという一心で毎週通っていました。そして上手くなることだけがすべてだと思っていました。

 ところが、この「上手い」という定義は難しく、例えばビッチやリズムという観点でもいえますし、表現力という点でもあると思います。もちろん「いい歌」っていう概念は「上手い歌」という定義よりも遥かに曖昧な事かもしれません。
 しかし、所詮音楽は主観で判断するもの、要するに「好きor嫌い」の世界な訳で、「いいね」って言われて、ライブを見に来てくれたり、CDを買ってくれたりする人がいれば、それで成立するものだとおもいます。
 また、それが全てビジネスに繋がらなくても「音楽」というものの存在理由となんら違いない事だとも考えています。

 音楽で生計を立てたい人、趣味の領域で楽しむ人、自己の芸術表現の手段だという人など様々ですが、音楽を生業にする上で(別に仕事にしなくてもいいと思いますけどね)最低限の技術の向上というのはかかせません。技術というのはもともと、表現伝達の手段ですからね。
 
 
 恋愛のでもそうですが「好きな理由」なんて結局は後付けだったりします。音楽も歌も「とにかく好き!」、「君の歌いいね!」って理屈ぬきで言われるような歌うたいになってほしいと、僕は思っています。
 

※写真はイメージです

第9回「自分の歌を録って聴くのだ!」

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 いやー寒くなって来たねぇ。なんだか毎日鼻水が止まらないんですけれど・・・季節柄、クリスマスソングのアレンジなんかをしながらじわじわっと押し寄せてくる師走の波を受け止めるべく、気合いを入れている今日この頃です。世間はボーナス商戦で・・・まあ、僕には関係ない話ですけれどね。

 さてと、今日のお題は「自分の歌を録って聴くのだ!」です。皆さんは自分の歌を録音して聴いていますか? といっても、鑑賞用ではなく客観的判断素材としてですけれどね。

 そのまえに、まずはちょっと1980年代~90年代中頃に気分はタイムトラベルしようかなっ。

 フォークソング、グループサウンズという洋楽的な思考が日本の歌謡界に流れて、さらにニューミュージックが生まれ、日本経済とともにめまぐるしく変化をしたのもこの時期。また、音楽のメディアもレコードからCDへと移り変わっていきました。同じく、レコーディングの技術にもデジタルが導入され始めました。
 
 今となっては、CDが当たり前でレコードさえ知らない若いミュージシャンが沢山いますが、ようするにまだレコードとカセットテープが主力だった頃ですね。もちろんレコーディングもアナログでした。(ここではアナログ or デジタルに関しての解説は控えます)
 自分のデモを作るのも、これまたカセットテープ。(今じゃハードディスクだの、メモリーカードだもんね)あれはたしか、TASCAMの4トラックだったかなぁ、MTR(マルチトラックレコーダー)というものを使ってオケとボーカル重ねてデモテープを作っていた頃が懐かしいです。曲のモチーフを記録するのもラジカセで、鼻歌まじりのギターで毎日沢山ラジカセに向かって録音した覚えがあります。
 
 はじめは楽曲のモチーフを作りためておく事が主立った目的だったのですが、そのうち、自分の歌を記録するということに変わっていきました。当初はそれだけで何となく達成感があって満足しちゃうんですけれど、でも、何か違うって事に気がつき始めて、憧れのアーティストと一体何が違うんだろうって、楽曲の構成も含めていろいろ研究してみたりしました。    
 
 もちろん、レコーディングの機材とかが違うのでそういった意味では比較対象にはならないのですが(それさえも知らなかったなぁ)、それでも歌い方や声の感じ、表現はどうなんだろうって、自分なりに何度も録音しては聴き返した記憶があります。

 さて、ここで現代の話。そんな数十年まえからすると、目覚ましい進歩で機材の性能が良くなっていますが、価格的に考えても今と同じ性能の機材を当時手に入れる、もしくは、作ろうとおもったらそれこそ、10倍から100倍近くの金額に換算されるくらいですから、ある意味、今の人たちは恵まれているとも言えるでしょう。

 ところが、その文明の力を活用してる人がどれだけいるのかなって思うと、意外に少なかったりします。(この恩恵にあやかっているのはむしろアナログ世代から移行組かも・・・なんか団塊の世代みたいだなぁ)
 まあ、恐らく音楽、いや歌というものが限りなくアナログ的なコンテンツなのだからかもしれませんね。録音する手段はともかく(もちろん今だってカセットテープを使うのもアリですよ)問題は、録音した後です。

 それは歌った時の自分の感情と感覚、そしてそのあと録音したものから感じるものとの誤差とでも言ったら良いでしょうか?それがどれくらいあるかという事。
 実は、この部分を客観的に判断出来るようになるにはかなり経験を積まないとダメなのですが、信頼のおける(きつい事も言ってくる)友人などに聴いてもらってアドバイスを受けるのも良いかもしれません。

 録音する事は、記録を残すと言う大事な要素も含み、さらに自分を客観的に判断する要素となります。自分の歌の世界に酔いしれる事も必要でしょう。感情的に歌う事もあるでしょう。
 しかし、それを聴いてくれる人たちにどんな風に伝わるのか、まずは自分の感性で冷静に判断する事はとても大事なことだと思います。

 最近はコンパクトなメモリーカードレコーダーをリハーサルスタジオに持ち込んで記録しています。これだと家に帰ってすぐにメンバーへインターネットを通じて音声ファイルを送る事ができますし、そのまますぐにCDとして残す事もできます。
 情報も技術も溢れる世の中ですが、もうすこし、自分にとっての便利さを追求して、様々なアイテムを活用してみるのもいいかもしれません。


次回は「上手い歌より、いい歌を」というテーマでお届けします。一応、最終回かな?

第8回「リズムとアクセント、つまりはグルーヴ!」

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 すっかり秋も深まり、冬の訪れを彷彿させる朝夕の気温。みなさん、いかがお過ごしですか? 別にこのコラムの更新をすっぽかしていた訳ではありませんよ、ちょっと、野暮用でいろいろとね(ふふっ)。
 まあ、そんなことはともかく、別に読書の秋というつもりではなく人肌恋しさに悶々としながら、なんとなく文庫本を手に取ってみましたが(ちなみに官能小説ではありません)これがまた、思いのほか僕の興味をそそり立たせてくれました。

 このところ、分もわきまえず己の処理能力を超えた範囲で仕事をしていたので極度の睡眠不足がずっと続き、渋谷にあるMI東京校までのバスの中では居眠り派だったんですが(それも体力維持のため仕方ないと)ふと過去に何かで読んだ文献を思い出したんです。  

 「睡眠時間の多少があるとはいえ、そのそもは睡眠サイクルのずれから睡魔が生じると....」なるほど!じゃあ、あえて発想の逆転とも言うべき、すすんで居眠りをするのではなく、本でも読んで脳を活性化してはとね。
 
 でも眠くなったのを我慢するわけではありませんよ。もちろん、本を読んでいて
眠くなれば寝ればいいし、その方が短い時間でも効果的だからね。
 だけど、読み物に集中できて脳が活性化されるのは、実際の睡眠時間の量ではく「眠りの質」に大きく関連してくるのだろうと、なんとなくですが身体で感じる事ができるのです。

 さてと、前振りが長くなってしまいましたが、今日のお題は「リズムとアクセント、つまりはグルーヴ!」です。

 プロも素人さんもひっくるめて、色んな意味で歌のうまい人は沢山いると思いますが、時々そんな人たちの中で、音程もリズムもバッチリだけれど何か物足りないと感じるような人がいたりします。
 売れるとか売れないとか、人気があるとか無いとかそういう観点ではないですよ。なんて言ったらわかりやすいかなぁ?上手いんだけれど....そんな感じです。

 今年他界された、あの世界三大テノール歌手パバロッティ氏も「技術は大事だけれど、それ以上に情熱が、気持ちが大事だ」と申しておりましたが、僕自身もそれには大賛成です。  

 が!しかし、その「気持ち」を上手く伝えるのもある意味技術や才能であると考えています。おっと勘違いしないでください、物事の始まりとして「気持ち」よりも「技術」が先であってはだめだということです。「気持ち」があって、それを伝えるための「技術」ということです。

 全ての言葉にはその意味を正確に伝えるためのアクセントがあって、言葉で気持ちを伝えるとき、その大半はこの「アクセント」で心の動きまで読み取ったりします。
 もちろん、歌(歌詞とメロディー)という点においてはその枠だけではとらえきれませんが、でも、その言葉の持つ本来の聴こえ方やアクセントを意識することは「気持ちを伝える」という意味において実に重要です。
 
 また、メロディーにもアクセントが存在します。基本的にはビートの中の強拍といわれるところにまずあって、そのアクセントの位置によってグルーヴ(ノリ)が変わってきます。画像のようなアクセント記号を歌詞に書いて、歌の練習をしてみて下さい。


 そう、この言葉のアクセントとメロディーのアクセントの組み合わせこそ、物足りない歌を克服する一つのヒントになり、そして音楽的なグルーヴにもつながっていくのです。

 ということで、たまには歌ではなく、読書の秋ですし好きな本なんかを音読してみるのもいいかもしれません。ゆっくりと正確に、感情を込めてやってみてください。録音なんかして、あとで冷静に聴いてみるのも効果的です。でも、官能小説ではおすすめできませんが....。

 次回は「自分の歌を録って聴くのだ!」でお送りします!

 

第7回「絶対音感と相対音感」

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 不覚にも風邪をひいてしまった今日この頃、早くなった夕暮れの訪れに人恋しさを覚えてしまったりしませんか?
秋は、夏と冬の間のすごく曖昧な季節だけれど、実はこの季節、大好きだったりします。
 美味しいものがあったり理由はいろいろありますが、一番の理由は過ごしやすい気温かもしれません。自宅でパソコン3台全開の作業していても平気だし、物思いにふけるもの最適だったりします。とはいえ、夜更かしは禁物、風邪には寝不足が一番こたえますからね。

 さてと、本当にしばらくぶりのこのコラム、今日のテーマは「絶対音感と相対音感」。この言葉の定義は様々な認識から定めるのが難しかったりしますが、ざっくり言ってしまえば、というか、僕自身が認識している意味では、絶対音感は「音の記憶能力」で、さらにこの能力に長けている人は音楽だけではなく、生活の中などのあらゆる音の階名がわかるというものです。それゆえにある意味かなり特殊な能力ともいえるでしょう。
 それとは別に相対音感は「ある音の高さに対してほかの音の高さを判断する能力」だといわれていますが、音楽的な意味では「音階をたどる能力」ということになるでしょう。しかし、どちらかというとこの「相対音感」という言葉は「絶対音感」という言葉に対しての対比として使われているようです。

 では、ボーカリストにとって「絶対音感」という能力は必要なのか?という点についてですが、必ずしも必要な能力ではないと思っています。
 たしかにこの能力を持ちあわせている事により、頭の中でメロディーを考えてすぐに音符にできたり、いわゆるヘッドアレンジ(楽器を使わないで自分の頭の中で楽曲のアレンジを行うこと)などには大変有利な能力であるからです。

 しかし、対比的な意味での「相対音感」という点おいては、不可欠であると考えています。
 なぜならば、ある楽曲のキー(調)において、理論的にではなく感覚的にメロディーを構築したり、メロディーラインに対してのハーモニーを構築したりする能力がそれにあたります。
簡単に言えば「絶対」とか「相対」とかそういう区分けではなく単純に「音感」ということになるのですけれどね。

 さて、僕が行うボーカルレッスンの中で「音感」をチェックするすごくシンプルなレッスンがあるのですが、それはいわゆる「ドレミファソラシド」(メジャースケール)という音階をガイドメロディー無しにアカペラで歌ってもらうというものです。
 この場合の「ド」は必ずしも実音で「ド」の音ではなくても良く、はじめに声にした音程からのメジャースケールの感覚を見るというものです。これによって相対的な音感をどのくらい持ち合わせているかということがわかります。

 発声練習で、様々なスケール(音階)を練習したりしますが、まずこのアカペラ「ドレミファソラシド」を練習してみてください。その際にカセットテープ(今時無いか?)やMDに録音して、客観的に聴いてみてください。意外と曖昧な音階だったりする事に気がつきますよ。

 音感能力は先天的な部分や生活環境などにも影響してきますが、様々な方法によって向上させる事は可能です(音叉で音を覚えたりとか)。
 また、一般的にピッチ(音程)が不安定な人は、音感という観点もさることながら発声に問題があると考えています。良く響き安定した声が出るようになると、それだけでだいぶピッチは改善されますので、もしそのような疑問をお持ちの方は一度ご相談ください。

 ということで、今日はこの辺でおしまい。
 次回は「リズムとアクセント、つまりはグルーヴ」といテーマでお送ります。

第6回「シンガーソングライターに捧ぐ!」

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 厳しかった猛暑せいで、今年の夏はかき氷とビールと枝豆が主食となっていた渡辺学です。やっぱり、かき氷はイチゴミルクだね!そう、それも練乳のね!それと枝豆は絶対にだだちゃ豆やね!
ま、そんな話はさておき、己の作品作りにもこの夏の休みを利用して取り組んだ訳ですが、いかんせんこう暑いとそれだけで集中力が損なわれてしまいます。だって、作業部屋にはエアコンが無いんですもの!だから一日に最低でも3回は着替えます。(爆)

 さてと、今回は「シンガーソングライターに捧ぐ!」つうことで、ちょっと発声系の話からはそれちゃうのですが、自身もいわゆるシンガーソングライターってヤツで、つまりは「自ら作って歌う人」っていう事なんですけれど、どうもこの言葉が古くさいイメージがして嫌なんですよねぇ。なんか昭和のフォークっぽいようなそんなイメージ・・・。
いや、べつにフォークを蔑視しているわけではないのですよ、なんかもっとかっこいい言い方ないかなぁって思う訳です。
 
 そういえば、いつ頃からだろうなぁ、ミュージシャンもアーティストってテレビとかで言うようになったのは?まあ、それはともかく、この「シンガーソングライター」っていう言葉で僕が勝手に解釈しているもう一つのイメージは「ギターをかき鳴らして歌う」そんな感じ、いや、僕というよりも、むしろ現在40代半ば以上の人が持っているイメージがそういう感じかも知れません。

 あれはちょうど10年前、僕がソロデビューしたした時の話。デビュー曲のプロモーションで当時のディレクターから「シンガーソングライターだし、アコギ持って各地をまわるのはどう?」ということになって、実際それを行ったわけなんですが、そのスタイルがどうも僕的には違和感があったんですよ。(正直かなり拒んだんですけれどね)
 
 確かに僕はギターも弾くし、キーボードも弾くし色々やりますけれど、かと言ってそれだけで表現しきれるほど上手い訳でもないですし、人前で歌う時は出来れば歌だけに専念したいというのが本音の本音。
 というのも、僕が曲を作る時は大抵キーボードで考える事が多かったからなんですけれどね。いずれにしても、今となれば良い経験になってますけれど。

 とはいえ、この「シンガーソングライター」のイメージは、時代と共に変化しているのかもしれませんが、自分で作って自分で歌うということに関しては、単純に作詞、作曲を個別でやるよりも非常に有利な部分があるのです。
 
 もちろん、音楽的なクオリティーを高く保つためにはそれなりに知識もセンスも通常以上に必要になってくるんですけれど、一番は自分が描いた歌詞の意味をふまえ、言葉の響きとメロディーをあわせて同時に考える事ができるって事でしょうか? 
 仮に、歌詞とメロディーの組み合わせにつじつまが合わなくても、両方自分でやっていれば誰の断りも得る事なく好きにかえられますし、自分の歌の音域を考えて楽曲を作る事もできます。しかし、それ故に落とし穴があって、自分で逃げ道を作ろうと思えばいくらでも作れてしまいますし、同じパターンにはまりやすくなるのも事実です。

 よく、曲を作る上で「歌詞が先か?曲が先か?」なんていう質問を受けたりしますが、僕の場合、特にその順序にこだわったりする事はありません。
 でも、基本的には曲と歌詞のイメージが同時に生まれるケースがほとんどで、それ以外は、曲だけ、歌詞だけという感じで、音のスケッチみたいにして曲を溜め込んでおいたりします。曲自体も、メロだけの時もあれば、リズムパターンから作るときもあったりします。

 ただ、最終的に、歌詞やメロを整理するときには「言葉にメロディーがあって、メロディーに言葉がある」というような感覚を大事にしています。ようするに言葉とメロディーのパズルを組み合わせる事こそ「シンガーソングライター」の本領が発揮出来るとところ。
 そしてメロディーが欲しがっている言葉を、言葉が求めているメロディーを上手く引き出せたときこそ、「シンガーソングライター」冥利に尽きるのではないでしょうか?

 世の「シンガーソングライター」志望の皆さん!音楽的知識や理論は大事なものではありますが、時にその知識が邪魔して冒険が出来なる時もあったりします。
誰の歌に似てようと、シンプルなものであろうと、自身の感覚とセンスを信じて自由な発想で音楽を作り出してください。体裁よくするのは、自由に作った後で十分ですからね。
 
 しかし、この「シンガーソングライター」って言葉、ほかにいい言葉ないかなぁ???


 次回は「絶対音感と相対音感」というテーマお送りします。
 チャオ!

第5回「歌うように話せ、語るように歌え」

 「なぁ~に、お盆休み、お盆休みだよ!」って理由をつけては、更新が滞っていた渡辺学です。先日、熊谷では40℃を越える記録的な猛暑になり、世間では「熱中症に注意!」と盛んに呼びかけている訳ですが、歌と音楽への熱中度合いだけは常にマックスにしておきたいものです。そんな僕もあまりに熱中したせいか(音楽以外ですけれどなにか??)GIT講師のZANちゃんに負けないくらい、日焼けのし過ぎで腕なんか丸焦げです。(夏休みおわったら比べてみよっと!)

 さてと、今日のテーマは「歌うように話せ、語るように歌え」です。かなり昔の話ですが、ある小説でジャズピアニストが女性ボーカルに歌をレクチャーするシーンがあり、そのときの台詞がこうでした。
「歌は語るように歌って、そして話すときは歌うように話してください」
 当然の事ながら、当時はその深い意味までは理解できませんでしたが、なんとなくそれが意味するところだけはぼんやりと感じていました。

 あれから数年、自分自身も様々なボーカルトレーナー、また講師に出会い、いろいろな表現方法やスタイルをかいま見てきましたが、最終的にこれは聴こえ方の事なんだという事にたどり着きました。
たしかに、ジャンルの違いものあるので全てにおいてこれが当てはまる訳ではありませんが、比較的歌詞とメロディーをしっかり聴かせなくてはいけない歌に関しては、ほとんど当てはまると思って間違いないと考えています。

 では、その「聴こえ方」について説明していきましょう。まず自分がリスナーとして、表現も技術面も非常に上手い他のボーカリストの歌を聴いたときは、不思議と聴き入ってしまっているようなことがあるとおもいます。こういった現象がどうして起きるか?

「表現方法が上手いから?」
たしかにそうですね。
「音楽的な技術面が優れているから?」
もちろんそれも大事です。
「声が良いから?」
好みもありますが、当然重要な要素。

 さらに具体的に説明して行くにあたって、歌とか音楽という観点ではなく言葉を伝えるという事から見てくとわかりやすいのですが、まず言葉のアクセントや話すスピード、そしてトーン。この要素が複雑に絡まって、聴き手側を飽きさせないようにしているからだということです。
歌の場合は、その単語が持っている元々のアクセント、メロディーという音楽的要素のアクセント、歌詞の内容からみた重要な言葉の強調方法、歌詞の感情表現としての声のトーン等といういくつかの要素から成り立っていると考えています。

 今現在、歌を歌っていて自分の歌がどうも平坦になりがちだなと思う人、もしくはそう言われてしまう人は、実は、このアクセントやら強弱の方法やらが出来ていないことがほとんどなのです。もちろん、本人は一生懸命気持ちを込めて歌っているかもしれませんが、しかし、言葉にしろ歌にしろ、何かを第三者にきちんと伝えるという事は、思っている以上にむずかしいのです。
ただ、ここで誤解してほしくないのは、日本語なのに英語っぽい歌い方がダメな訳ではないですし、淡々と歌う表現がダメな訳ではありません。普通に聴いているだけでは気がつきにくい点なのですが、このような場合でも音楽的な歌のアクセントはきちんとありますし、強調されるべきところはきちんと強調されているのです。
 
一番の理想は気持ちもしっかりあって、自然と言葉が第三者に理解できるように歌えるようになることが良いのですけれど、とはいえ、人間は頭で考えているように体の表現をスムーズに出来る人ばかりとは限らないのが現実です。ですから、客観的な立場からの技術的、知識的なアドバイスが必要になってくるのです。

 声もピッチもそこそこ安定して歌えるような人はぜひ、自分の歌を録音して、自分自身で客観的に聴いてみる事をおすすめします。このときの基準値として、自分の好きなアーティスト、目指すボーカリストと歌と聴き比べてみてください。技術的な部分だけでなく、そのとき、自分自身で自分の歌と他の歌手の歌の「聴こえ方」の相違点を見いだせたら大したものです。
最初はモノマネみたいなものでも構いませんが、それならそれで、ブレスからなにから完璧に歌いこなせるようにしてみてください。また、そのアーティストの音楽的なバックボーンなんかも研究してみてください。そうする事により、浅いモノマネが深い表現方法として自分の身になっていくのです。

 そんなわけで実際の方法として、歌詞や言葉を強調する方法はいろいろありますが、どうしても知りたい人は一度無料体験レッスンに来てみてください。こういったアクセントや強弱を付ける方法は、かなり思い切ってやらないと変化がわかりにくいですし、ちょっとしたコツを掴むだけでもかなり変わってきますからね。
 
ということで、今回はこの辺で!
次回は「シンガーソングライターに捧ぐ!」でお送りしたいと思います。
See you !

※無料体験レッスンのお申込みはコチラ→http://campus.ktai.at/mi/61.phtml?
 

第4回「低い声?高い声?」

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 ちょっと間があいてしまいましたが、元気ですか? いやー!いいねぇ、いいねぇ、やっと夏らしくなってきたねーっ!とか思いつつ、蒸し暑い空気には疲労度3割増しです。この湿度って厄介なんだよねぇ。楽器は鳴らなくなるし、カビは生えるしね。でも、湿度自体は喉には良いみたい。

 そういえばあれは数年前のこと、新曲のレコーディングでロサンゼルスに行ってきたのですが、そのときは空気が乾燥していて声を上手くコントロールできなかったの覚えています。ロスのスタジオではリズムトラックと仮歌のみのレコーディングだったのでまだ良かったのですけれど、なんて言うか、喉の奥がへばりつくような感じで、声に艶がなくなってしまったんです。
 滞在したホテルでも使ったバスタオルがあっという間に乾いちゃうくらい部屋の中も乾燥しているので、就寝時にはバスタブにお湯を張って、さらにカーペットに水を撒いて対処しました。体が日本の湿度に慣れているものだから、腕や足の皮膚まで白くカサカサになっていたのをいまでの思い出します。
 そうか!だからみんな普段からスキンローションを使ってるんだなぁ。だって、レコーディング前に握手したギターのスティーブ・ルカサー氏もベースのジョン・ペーニャ氏もみんな手がしっとりしていたし、なんだかアメリカンな香りがしてたもの・・・しかし、なんで向こうの化粧品って香りが強いんだろ???そんな事どうでもいいか。
 まぁ、しかし楽器は乾燥していた方が良い音がしますね。スタジオに常設してあった年代物のスタンウェイのグランドピアノは、びっくりするくらい音のエッジが立って、すごく気持ちの良い音してました。

 さてと、前置きが長くなっちゃいましたけれど本題に行かなくちゃ。
 ここ10数年くらいの間、男性ボーカルの音域がどんどん高くなって来ている傾向にあるのですが、その理由に楽曲自体の洋楽指向が強まったということがあげられると思います。そんな事もあってか、歌を初めて間もない生徒さんは特に、高い声にあこがれを抱いてしまうみたいですね。振り返ってみると自分自身もそうでしたから、その気持ちはよくわかります。
 ところが、そういった生徒さんに限って、歌の中で一番良く使われる中音域(自分にとっての一番歌いやすい音域)がおろそかになったりしています。僕はこの事を「音域の中抜け」と言っています。もし、あなたが自分の声の音域を広げたいのであれば、いきなり高音域や、低音域の声をだすのではなく、自分がコントロールしやすい音域でしっかりとした下地(響き+ビッチ+声量)を作るように心がけてください。それだけでも上下の音域が今よりも広がるようになるはずです。
 
 練習するポイントとしては、寝起きは低い声が出しやすいので、そのときに体のどの部分を響かせて低い声の共鳴をさせるかを身につけるといいでしょう。また、高い声は、まず今の自分の一番大きく良く響き、ピッチも安定した音で声をだし、出来るだけ余計な力を抜いて同じ声量と響きを保つようにします。そのとき、必要以上にアゴをあげてしまったりしないようにします。
 そしてそこから徐々に音域をあげて行くのですが、このとき音が高くなっても、声の出すポジションを出来るだけ体の低い(深い)部分でとらえるようにします。イメージ的なことなのでわかり辛いかもしれませんが、必要以上に声帯を締めたり、喉を締め付けたりしないようにするためです。それと、「音が高い=出ないかもしれない?」というような精神的なマイナス要因もこのとき徐々に頭のなかから消してきましょう。

 いずれにしても、しっかりとした声を出せるようになるにはそれなりの時間と練習が必要です。また、年齢や性別などにも左右されます。医学的にも声帯そのものが発声できる音域は2オクターブと言われています。音域という面では個人差があるのでいちがいには言えませんが、そのなかで、実際に歌に使われる音域は(注※)1オクターブ半くらいまでがほとんどです。
 なんとなく、高音域(ハイトーン)神話はいまだあるようですが、たとえ、自分の声の音域が低めだったりしても、歌で使えるしっかりとした音域が1オクターブ半もあれば上等です。高い声とか低い声とかこだわる事も大切ですが、そのまえに音楽的にもちゃんと歌になっているのかという観点でもう一度自分の声の音域等と見直してみてください。「基本的な声=自分の本当の声」を出せるようになれば、それだけで、今よりも上下1音くらいは音域が広がるはずですからね。

(注※)1オクターブ
完全8度音程の事、たとえば、ドから一つ高いドまで。ラから一つ高いラでも同じ。

 次回は「歌うように話せ、語るように歌え」というテーマでお送りします。

第3回「共鳴って?」

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 湿気の多いこの時期は、カビの発生が気になりますね。カビは様々な病気の原因にもなったりするらしいので、気をつけてくださいね。
 でも、それよりも洗濯物が乾かなくて困っている人も多いのではないでしょうか? この時期の部屋干しは生乾きになることも多く、あの独特の嫌な匂いが気になったりします。
 そう、あの匂いの原因もある種、カビや細菌の仕業なんですねぇ。仕方なく部屋干しをして、窓を締め切って外出しなければいけないときは、換気扇を稼働させておくだけでも結構違うみたいですよ。

 さて、今日は『共鳴って?』って事なんですけれど、何の事だかわかりますか? 
 もともと声帯という喉にある、声の元を作る場所で発生する音は、どんな人でもそれほど大差がないと言われています。じゃあ、なんで声量の違いが起こるんでしょうか? そう、それが共鳴なんです。この共鳴が無ければ、大きな声量は生まれません。

 人間の身体で特に共鳴する場所がいくつかあるのですが、まず、一番広く大きな空洞が胸腔(胸)です。次に副鼻腔(顔<歯も含まれます>)という顔の頬の周辺にある空洞です。そして、頭蓋骨(頭)。この場所はそれぞれに響きやすい音の特性があって、低い音は胸に響きますし、日常的に使われる中音域は顔周辺の響きが主になります。さらに高音域では頭に良く響くのです。 
 ただ、それぞれが独立して響く、つまり共鳴するのでは無く、互いの響きが混ざり合って、豊かな倍音と共に声量のある声を作り出すのです。その響きを上手くコントロールできるようになると、意図的に胸腔の響きと副鼻腔の響きを混ぜたりして、声色をコントロールできたりします。もちろん、厳密に言うと共鳴する場所は他にも沢山ありますけれどね。それに、この共鳴させる場所によって声のトーンが変わり印象も音程感も変わったりするのです。

 そこで、美しく共鳴させる上で大切な条件があります。それは体に余計な力が入ったりしていないという事です。例えば、誰しも極限の緊張状態というのは体がこわばります。こういう状態では上手く共鳴させる事が出来にくく、また呼吸も浅くなりがちです。そのために日頃から発声時に体のどこの力を抜き、またどこの力を使うのかということを意識しなくてはなりません。
 普通、ボイストレーニングでは基本姿勢を身につけ、それを基準に力加減と発声方法を理解するようにしますが、体の使い方がわかってくると、結構いろんな体勢や姿勢でもしっかりとした声が出るようになるのです。
 そんな風に自由に動いても極端に変わらない声を出せるようになっていれば、発声と言う点では結構な感覚を身につけているといっても過言じゃないでしょう。

 しかし、この「力を抜く」もしくは「力まない」という感覚が、皆さんなかなか掴み辛いようです。そういえば、先日、耳鼻科の先生をお招きして行われたMIのボーカル科向け特別セミナーで、とても興味深いお話がありました。
 僕らが何か物を運ぶ為に力を込めたり、踏ん張ったりするときは、喉を閉めて力むらしいのです。言われてみれば確かに、ですね。しかし、この喉を締め上げた状態では歌に使う為の良い声はでません。(ある方法で強制的に応用はできますけれどね)「でも、大きな声を出すときは力がいるんじゃないの?」とか思いますけれど、ここがちょっと普通に力を使うところとは違うところなんです。
 
 簡単な言葉でお伝えすると、上半身、特に胸、肩、首などの筋肉をリラックスさせ、声を出す為の力のポジションを横隔膜、つまり身体的なイメージで表現すると、声の力の源を下腹部(武道などで使われる用語で「丹田」という場所です)に持ってくるということなんです。これが上手く出来るようになると、上半身を恐ろしくリラックス、いや、相当だらしなくしていても、普通に大きな声が出るようになります。
 ただ、いきなりこの感覚を掴む事は難しので、ある方法で声量的な意味での本当の自分の声を実感してもらう方法を、僕は体験レッスンなどにいらしてくれた生徒さんたちに体感してもらうようにしています。この方法でほとんどの生徒さん達が自分の声の大きさの変化や、今まで考えてた以上に高い音が出せることに驚いたりします。
 しかし、それは特別な事ではありません。人間、いいえ、生き物として当たり前のことなんです。ただ、僕らは風習や、しきたり、または生活習慣、規則などで、ちょっと忘れてしまったりしているだけなんです。
 
 思い浮かべてください、生まれたばかりの普通の赤ちゃんで泣き声の大きさに著しい違いがありますか? 彼らは本応的に声の出し方を知っているのです。もし、身近で生まれたばかりの赤ちゃんが泣いている所を見られるような事があったら、そのときに、お腹をどう使っているか、良く観察してみてください。
 まだ骨も筋肉も最低限しか発達していないですが、彼らが声をちゃんと共鳴させ、全身を使って泣いている姿こそ、だれもが最初に出した本当の自分の声だと僕はおもっています。

 例えば、もしあなたが何らかの理由で無人島に一人取り残されてしまって途方に暮れていたとします。そのとき遠くに船の姿が見えました。あなたはその船を呼び止めなくては、また取り残されてしまいます・・・・と、そんな時にあなたは、正しい発声法とかという概念は別にして、今歌っているような弱々しい声で助けを求めますか?
 無理のない発声という観点ではいささか乱暴すぎる想定ですが、場合によってはこういった荒療法から大きな声を出す為の勇気というか、勢いを見いだす事も出来たりします。つまりは命の声=あなたの本当の声だからなのです。
 ただし、気をつけないと喉を枯らしてしまったり、つぶしてハスキー声になったりしてしまいますので、くれぐれも美しく響く声を求めている方はやたらと無理をしないで、的確なアドバイスを受けられる状況下で行ってくださいね。
 
 さてと、長くなってきたのでそろそろお開きにしようかとおもうのですが、今回はこの「共鳴」を連想できるような良い画像がなかったので、ギターのサウンドホールの画像を掲載しました。僕が中学生の頃から愛用しているギターです。(軽く20年以上は経過しています)
 ギターはサウンドホール自体が共鳴している訳ではなく、人間の体に例えれば口みたいなものです。となると、弦が声帯で、その弦の振動をサウンドホールで受けてボディー内部やその素材、つまりは木(体)に共鳴させて音を増幅しています。ですので、素材である木や弦などで、音質がちがったり、音量(楽器としての鳴り)が違ったりという事がうまれます。
 だた、僕らはギターと違ってこの共鳴する場所を巧みにコントロールする事が出来るのです。だからこそ、声という楽器が表現豊かな楽器なのですね。本当はもっとわかりやすいのが、サックスとかの管楽器だったりするんですけれどね。たまたま、画像素材としてなかったもので...すみません。
 ということで、次回は「低い声?高い声?」というテーマでお話したいと思います。

第2回「腹式って?」

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 九州地方では大雨でかなりの被害が出ているみたいですけれど、なんでこう自然って言う奴は時折融通が利かなくなるのでしょうか?もうすこし平均的に降ってくれればいいのですけれど・・・。
 とにもかくにもこれ以上被害が広がらないようにと、また、被害に遭われた方の一早い復興を願っています。

 さて、今日のテーマは「腹式って?」という事で進めて行きますが、この「なんとか式」という表現がまず「どうなのよ?」とか思いませんか? 何かものすごく特別な事のような気にさせるというか・・・。
 でも、特別な事ではないって、知っていました。(たぶんほとんどの人は知っていると思いますけれど)いわゆる呼吸という事での腹式呼吸は、どんな人も寝ているときや、すごくリラックスしているときに自然と行っている呼吸なんです。でもなぜかこれを歌につなげようとすると、とたんに出来なくなる人が多いみたいです。もしかすると、すごく考えすぎちゃってるのかもしれませんね。
 ですから僕はレッスン時には呼吸の中心をお腹でとらえるようには意識してもらいますが、必要以上にお腹の表面的な動きを意識しないようにと勧めています。というのも、意外と表面的な動きだけで、本当にお腹で息をコントロール出来ていない人が多いからです。
 ここでお腹で息をコントロールといっても、当然ながらお腹に直接空気が入っていく訳ではないですが、つまり横隔膜を使って息をコントロールするということなんですけれど、今回は横隔膜の説明をするスペースまではないので横隔膜がどういうものなのかはインターネットで検索するか、一般的な声楽の本などを読んで確認してみてください。あ、もちろんMIの無料体験レッスンに来ていただくのも大歓迎です。

 では、この腹式呼吸をどんなふうにして練習したら良いでしょうか? まずその前に、一般的な呼吸と言う点でお話ししてみたいと思います。
 一般的な呼吸、つまり生きていく上での呼吸は、鼻炎や花粉症、また鼻風邪でもひいていない限り、鼻から吸って鼻から吐く、もしくは鼻と口両方から吐くという方が普通ですし、理想的です。なぜなら、人間でも動物でも鼻にはエア・フィルターの役割があるからなのです。これは医学的にも「鼻呼吸は身体の免疫抵抗力を高める」という事が実証されています。また、初期のボイストレーニングでも、お腹を意識した呼吸させるために鼻から吸って口から吐くという方法で行ったりもします。

 ところが激しい運動を行ったあとの呼吸ではどうでしょうか? 鼻からの吸気だけでは足りなくなってしまいませんか? それもそのはず、鼻には先にもお話しした通りエア・フィルターの役割があって、そのために吸気にはある程度の抵抗がかかるようになっています。さらに、鼻の穴の二つの直径は口を普通に開けた時の大きさよりも小さいのです。
 
 この理屈は歌にもいえるわけで、運動のように酸素供給として必要になる事が全てではなく、例えばテンポの速い曲やフレーズがいくつも連なった曲では、短い間隔で酸素供給とフレーズを歌うための息を多量に必要とします。そうなるとやはり鼻だけで呼吸を行うことが非常に困難になってきます。ましてや、鼻だけで意図的に吸気するためには口を閉じないといけません。そう、この吸気時に口を閉じてしまう動作も、さらに顎や喉の筋肉に影響を及ぼしてしまう動作のひとつなのです。
 つまり、ヨガや、一般的な呼吸法でもない限り、鼻から吸って口から吐くと言うことがイコール腹式呼吸の方法だということにはならないという事なのです。

 実際に歌で使う腹式呼吸の感覚はその人にあわせて声を出しながら自身の身体で確認していくしか手だてが無いのですが、それではせっかくこのホームページを見ていただいたあなたに申し訳ないので、ひとつだけヒントさしあげましょう。
 呼吸するための臓器、つまり、肺には限られたスペースしかありません。しかも、酸素を取り込み二酸化炭素を排出するために、常に一定の空気の出入りがあって完全にゼロにはなりません。その肺に空気を取り込むためには普通の状態から大きく胸を広げてようにして息を吸い込むのが普通だと思いますけれど(いわゆる深呼吸)これでは肩や首、喉によけな力が加わってしまい歌うための呼吸としては理想的ではありません。
 そうです、良く言われている胸式呼吸になってしまうのです。そうなると、声もうわずって、息の支えもなくなり、張りのある声にも声量のある声にも絶対になりません。
 
 ではどうするか? 簡単に要点だけを言うと、まずは息を吐く事から意識していって下さい。息を吐いた後、口を開けて、身体、つまり息を吐くために引っ込めたお腹の力を抜けば、自然に息が取り込まれます。この感覚をつかむことによって、余計な力を使わず、さらに深い呼吸へと出来る呼吸法の基本型を身につける事ができるのです。
 もう一ついえば、歌のうまい人はこの方法を応用して、ブレスの合間に巧みに余った息を吐き捨てるような方法で次のブレスを行っています。これによって、自然と無理の無い深い呼吸が可能となるわけです。
 
 もちろん、こうして言葉にすると簡単そうに思うかもしれませんが、そもそも呼吸は無意識に行う動作です。歌をうたうための呼吸でも無意識レベルまでに持っていくには、それなりの練習量と普段の生活の中にどう取り入れるかということが重要になってきます。今日のあなたにお伝えした事を簡単な言葉でまとめると
「息は吐かなきゃ、吸えない!」のまさにこの一言です。
自然と空気が取り込まれる感覚、ぜひ掴んでみてください。

次回は「共鳴なのだ!」をテーマでお送りします。

第1回「ボイストレーニングって意味あるの?」

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 MI Japanのホームページをご覧の皆さん、初めまして!MI VIT講師の渡辺学です。梅雨時期ということで、ジトジトした雨降りばかりだと外に出るのも憂鬱ですけれど、今年はどちらかというと空梅雨。このまま雨が少ないほうがもっと困ってしまいますが、喉のケアのためにも適度な湿度というものが大切ですし、気温差は体調に影響するので蒸し暑いと言っても、くれぐれもエアコンの温度設定と体調管理には注意してくださいね。
 さて今日は第一回ということで「ボイストレーニングって意味あるの?」というすごく単純な疑問に焦点を合わせてみようと思います。

 あれはまだ僕が歌を始めて間もない頃、自分自身もボイストレーニングが本当に効果あるのかと疑問に思っていました。(当時は、生意気にも自分がそこそこ歌えてると思い込んでただけですけれど)また、非常に勝手なイメージなのですが、ボイストレーニングを行うことによって個性を押し殺してしまうように思い込んでいました。
しかし、これまで自分がレッスンを受け、そして講師としてレッスン続けて来て言えることは、ボイストレーニングとは自分の本当の声を探すことであるということです。

 では、この「本当の声」っていったいなんでしょうか? 簡単にいってしまえば、歌として自由に使える声ということです。いまこのコラムを見ているあなたは、どのくらい自分の声の音域や声量、音程感を把握していますか?バンドの演奏に負けない声をもっていますか?はっきりと歌詞が聞き取れるように歌えますか?
 
 仮に、自分を楽器だと思ってください。ギターでも、管楽器でも、音程がある楽器ならなんでもいいです。声量がないということは、楽器としてちゃんと鳴っていないということですし、音程が悪いというのは調律が合っていないことです。そういう楽器では、いくら上手な人が演奏しても、美しいメロディーや素敵なハーモニーは奏でられませんよね?
 そう、ボイストレーニングは自分の声(つまりは体)を、良く鳴って、ちゃんと調律された楽器に鍛え上げていくということなんです。そのために様々なエクササイズ(練習方法)がありますが、基本的にはシンプルなもので、例えば、息を吐いたり吸ったりする練習から、音階(スケール)練習、発音、開口などです。
 特にどれを重要視するかにおいては、その都度トレーナーが判断するところではありますが、個人的な観点からすると、単純なエクササイズほどその効果は大きいと思っています。
 誰もが一度は耳にするドレミファソラシドというメジャースケールがありますが、このスケールをできるだけ正確な音程とリズムで(これが大事)歌えるようにする!なんてまさにそうだと思いませんか? すごくシビアな聴き方をすれば、みんな意外と微妙な音程だったりリズムだったりしますからね。
 まずはその微妙な違いを歌いながら自分でわかるようになることが大事なのです。そのためにもシンプルなエクササイズということに意味があるのです。

 ボイストレーニングで自分の声をつかみ、音程やリズムをシビアにとらえて正確に歌えるようになっていれば、あとはステージで心のままに歌うだけです。
 情熱や、愛、夢、そして希望、そういった様々な感情が重なって初めて『歌』になります。僕自身も歌を始めたばかりの頃には技術面ばかりを追求してきました。しかし、すべては自由な表現のためなのです。

 次回は「腹式って?」というテーマでお話しします。

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