MI JAPAN TOKYO
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Zaindre Yarborough

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●ザンドレ先生の幼少時代のことを教えてください。
僕はニューヨークで生まれたんだ。ギターを始める前、三歳ぐらいの時はダンスをしていたんだよ。James Brownのようなダンスをね。おばあちゃんがあちこち連れまわしてくれたりして。大きくなるにつれて、薬学の勉強を始めた。というのも、僕の家族はみんな薬学に携わっていてね。お母さんは看護師だし、おばあちゃんは医者だし、みんな医者なんだよ。それで、僕は医者になるように強制されたんだよね。10歳ぐらいだったかな?医者とか、医療関係のものに囲まれていたからね。それで「僕も薬学をやるんだろうなー。こりゃー難しそうだぞ。」って思ってたよ。

●ギターをはじめたきっかけは?
すごく自転車にハマっているときがあって、僕は家の前を通る自転車をわくわくしながら見ていたんだ。そしたら背中に何かをかついで自転車に乗っている人が目に入った。僕は、その人が背中に背負っているものがなんなのか、どこに行くのかを聞いてみた。そしたら、彼の背中にあるものはギターってやつで、これからパーティーに行くところだという事が分かったんだ。ギターをかついでる姿がすごくかっこ良かったからどんなものか見たくて、彼にパーティーに連れて行って貰う事になった。パーティー会場に着いたら、彼はヘンドリックスの曲を弾き始めたんだ。もう完全に打ちのめされた感じだった。その当時ヘンドリックスのことを知らなかったんだけど、彼の弾き方とか表現方法から、よく知らない僕でも、彼がどんな気持ちだったかわかったんだよ。それで、「これは、言葉をしゃべらなくても、話ができる方法なんだ!僕もやってみたい!」 急いで家に帰って、母親にも家族にもギターをねだったけど、最初は誰にも相手にしてもらえなかった。でも、僕は諦めず交渉してついにギターを手に入れたんだ。12歳のときにね。

 

●ギターを手にしてからどんな練習をしましたか?
最初は少しずつ弾き始めたんだ。とりあえず何か弾こうと思ったんだけど、テープレコーダを持っていなかったから、唯一出来ることといったらラジオを聞くことぐらいだよ。ラジオで自分の好きな曲が流れたら、その曲が始まって終わるまでの間に曲を覚えることに挑戦したんだ。僕はわりと、この練習法が合っていたようでその曲が流れたときは2回目までに、全体の構成がわかるようにして、もう一度その曲がかかったら、通して弾くんだ。そんな感じで自分なりの練習方法を見つけて、1日12時間練習したよ。それを約3ヶ月毎日続けた。そしていくつかのバンドに入って、ニューヨーク州の新人コンテストで、僕のバンドは両方とも1位と2位をとったんだよ。それがきっかけでTVに出た。それを見ていた僕の家族が僕をTVで見て、それから全てが変わった。「キャー。私の息子はスターだわー。最高!」なんて風に。おばあちゃんは僕の一番のファンになったよ。

 

●その後、どんな音楽活動をしましたか?
ゴスペルツアー、R&Bツアー、音楽があるとこならどこでも行ったよ。色々なツアーをまわっているとき、あるプロデューサーに声をかけてもらったのがきっかけでレコーディングのサポートをする事になった。他のメンバーは僕より10歳上で、一番若かった僕は本当にヒヨッコ扱い。ギターリストが僕の他に2人いたんだけど、彼らはソロがあるのに、僕はリズムギターのみでとっても悔しかった。ある日プロデューサーが、「君が不満を抱えてることはわかっているよ。君がソロを弾く機会がないからだろ?」そしてプロデューサーが「君のリズムはすごくいいんだよ。それをソロだと思って弾いてみたらどうだ?」って言われた。今までそんな風に考えたことはなかった。リズムプレイをソロだと考えるということは、僕はいつもソロを弾いているって事になる。それで、僕は納得したんだ。リズムにもっと感情とか、雰囲気を入れて弾くようになったし、ソロがどうとか気にしなくなった。だって、僕はずっとソロを弾いているんだからね。それがきっかけでその年僕はニューヨークでトップリズムプレイヤー賞をもらった。どんなものでも、リズムと名がつくものは、僕はニューヨークで一番だった。でも、いつも謙虚でいることを心がけていた、謙虚になればもっと色々学べるし上達する。それが今日までの僕。
 

zan2.jpg●いつからプロとして活動して来たか?

駆け出しの頃の仕事の取り方は?
17歳からプロとしてのキャリアをスタートさせて、仕事の取り方は今も当時もまったく変わってないよ。いつもミュージシャンたちが誘ってくれるんだ。最初の頃は色んなジャムセッションに行って、誰かがその演奏を気に入ってくれた。そこで重要なのは誰かよりも上手く弾く事ではなくて、自分の中の最高水準で弾くんだ。そのときのテクニックとして、どうやったらベースプレイヤーとドラマーの音を良く聞こえさせるかを考える。もし、彼らの音を良く聞こえさせることが出来たら、彼らも僕を気に入ってくれるからね。彼らをそっちのけで、自分の音だけ良かったら「こいつはこのバンドの音を良くする為に来たんじゃない」って言われるだろ?僕は、彼らの音が良く聞こえるように弾く。そうすると、彼らは周りの人に、「あいつ、いいぞ。性格がいいし、嫌な態度もとらないし。」って勝手に僕の営業をしてくれるんだ。最初に嫌な態度をとるのは確実に問題になるけど、パフォーマンスの時には問題ないだろう。彼らは僕が何をしているか知らなくても、自分たちの音がいいのはわかる。そして、もしシンガーがそこにいるなら、シンガーをバックアップするように弾くんだ。彼らをサポートすることが全てだってことだ。裏方になる事に対して、僕は嫌だと思わない。だって僕はソロを弾き続けているんだからね。あと、面白いことに僕の仕事の90%ぐらいはベースプレイヤーから来る。最初にベースプレイヤーに気に入られてTV出演。違うベースプレイヤーにバンドに誘われて世界ツアー!また違うベースプレイヤーが声をかけてくれてコンサートに出演。それで日本に来たんだ。昔からの友達で、Rufus feat. Chaka KhanのベーシストのBobby Watsonが誘ってくれたり、Derek Jacksonが誘ってくれたり、EXILEのベースプレイヤーもそうさ。一緒にやろうぜって風に。だからいつも、ベースプレイヤーとドラマーが声をかけてくれたり、口コミで広めてくれたりするんだ。僕自身が広告を出したことはない。ただの口コミなのさ。誘ってくれたら、僕は駆けつけて演奏しなくちゃいけない。今まで彼らが聞いたこともないような演奏をね。それが上手くいく秘訣かな。

 

●日本で活動するきっかけは?
これは自分でも面白いんだ。1986年に遡るんだけど、NYであるグループにいて新しいレコード契約をとったとこだったんだ。それで、ニューアルバムのレコーディングも終わったのに、アルバムがリリースされるまでその曲の演奏ができなかった。ニューアルバムを聞いて初めて驚いてもらう為にね。だから、アメリカで演奏することはできなかった。その代わりに日本で演奏することなって。アルバムが発売されるまでの2週間、日本に滞在して演奏したんだ。初めて日本に来た時は、すごく怖かったよ。「みんな第二次世界大戦のこと覚えてないといいけど。僕の責任じゃないし。」なんて考えてた。それに僕は人種が一つだけの国には来たことがなかったから。アメリカは色んな文化が混ざり合ってるからね。日本はほとんどが日本人だけだろ?僕は見たことがなかったから「おいおい。みんな同じじゃないか!」って「早く帰りたい早く帰りたい」って思ってた。そしてアメリカに戻ってまた忙しい日々を送っていたんだけど、あるときひどく体調を崩して、生まれて初めて病院に運ばれて入院したんだ。退院してから「多分休養が必要だな。」って思ったんだ。僕たちは8年間1度も休暇をとっていなかった。休み無しで毎日リハーサルして、1日8時間の演奏の仕事を毎日おこなう。そして全く同じプロセスを繰り返すんだ。それが8年間。だからそろそろ海外にでもいってゆっくり休暇しようって。そこで僕は5カ国ぐらい選んでそれで最後に残ったのが日本。「日本?うーん。オッケー」って。僕は1年間のチケットを買ったんだ。なんかそれしか売ってくれなくて。最初は、一週間ぐらいの休暇にして日本に行って帰ってこようと思っていたんだ。そして日本に来たとき、あるサックス奏者に出くわしたんだ。彼は8年ぐらい日本に住んでいたから日本のことをね。そして家族に彼女を紹介したら、家族が全員、彼女を気にいってくれたんだ。それで僕は安心してアメリカに帰ろうと決めた。アメリカに帰れば日本語を勉強する必要がないしね。ところが僕が住んでいたときと当時は治安が大きく変わってて、奥さんとアメリカに行ったときに車から人を撃ち殺したりする事件があって。僕は銃声を聞いて、「まじかよ。」「もう絶対家から出ないぞー。どこにも行かないぞー。」でも全米ツアーやリハーサルで家を空けることが多いから、やっぱり彼女を日本に帰そうって。「ここは危険すぎる。彼女をここに残していくのは怖い。」って思った。でも、「ちょっと待てよ。落ち着いて考えよう。アメリカはそんなに悪い所ばかりじゃないよな!自分の家の周りは怖いから、ニューヨークはダメだ。じゃーLA?うーん。嫌だ。」そうやって、色々考えて日本に落ち着いた。ちょうどその頃ツアーの本数も増えてきたところだし、Sony Recordのアーティストのツアーとか、とにかく色んな人のツアーに出ていたんだ。それに僕には奥さんも息子もいる。もう本当に幸せで、これぞ人生!って感じだった。ところがそんな最愛の奥さんが亡くなってしまって、全てが変わった。家族が出来るまでは、僕は自分の為だけに演奏していたんだけど、結婚してからは、僕自身と僕の人生の為に演奏するようになった。そして、息子が生まれて奥さんが亡くなって。今は全て息子のために演奏している。僕は彼のためなら何でも犠牲にできる。神に誓って。今は、アメリカに帰ることも、他の場所に移住することもできるけど、息子はここにいるし、奥さんはこの土地に埋まっているし。だからこれからも日本で生活して行こうと思ってるよ!

 

●日本の音楽シーンと、アメリカと日本のミュージシャンの違いは?
アメリカの音楽シーンは大きく変わってきているよね。ヒップホップシーンとか。僕がアメリカにいた時は今よりもっと生の演奏をしていたんだ。それで、色んなスタイルの音楽を演奏して、年々進化していく感じだったんだ。日本に来た時は、昔に戻ったような感じだった。アメリカではヒットした曲は1年後には消えてしまうんだけど。日本では、アメリカの音楽を聴いて、アメリカの音楽シーンを見て、それを真似しようとするんだ。でも、すばらしい音を作る為に余計な努力をするわけじゃない。アメリカのスタジオではドラムトラックだけで1時間はかける。ドラムとベースのコンビネーションだったり、何か楽器を足すのに何時間もかける。がっちりと決まるまでね。コード進行はいいかとか。もしそれがいい曲で、いいサビでも、全てが完璧になるまで長い時間をかけるんだ。日本では、楽譜があって、サビがあって、それでよし。曲を通して弾いても感情がないんだ。なんていうか機械的で。アメリカは「君がしていることで君は一番になれる!」でも日本では「みんながここにいるんだから、君もここにいろ!」って感じ。でもでも、僕にとっては「うーん?」日本では自分自身を抑圧する。以前に、スタジオに入って「これはカッコイイ曲だ。いい曲だ」ってプレイを始めたら「なんでそんなにハッピーなんだ?」って「だっていい曲じゃないか」って言ったら、「いや、でもうるさい」って。「うるさいって?落ち着けよ。」って言ったんだ。でも、アメリカだったら、「おう、まじかっこいいよなー」ってハイファイブし合ったりして。みんな盛り上がるんだ。でも、日本じゃみんな、「よし、弾こうぜ。」って始めて。僕が、「この曲を弾いてるとき、何を感じてるんだ?」って聞いたら「ただこのパートを弾いてるだけなんだけど。」って。「いやいや、だから何を考えてるんだ?」って言っても「えー。わかんない。」だから、僕は君の音楽に何も感じないんだなって。自分の人生をエンジョイしていないやつが同じビートを演奏したら、「おっとっとー。」って感じになるんだ。パーティーのオープニングアクトなんかのコピーバンドをみて「すげー。僕もあんな風に演奏したい」っていうやつがいるんだ。「じゃーやればいいじゃないか、ステージで!」すると、「今はいいや」って言うんだよな。アメリカでは、ミュージシャンとか国際的スターになりたかったら、大体の周りの人たちはすごく協力的なんだ。「国際的スターになりたいって?なれるよ!」ってね。日本では、国際的スターになりたいって言ったら「だめだ。君は日本でしか歌ったりプレイしたりできない。君は海外に出られるほど上手くないんだ。そんなこと、考えるんじゃない。」っていう会話をよく聞くね!


●音楽の持つ力についてと、これからのミュージシャンへメッセージを。

音楽は僕にとって天国だ。色んな問題がそこかしこにあるけど音楽の周りにいて、演奏しているときには、僕はパラダイスにいるんだ。僕自身について言えば、僕は色んな人の為に演奏して、日本じゃちょっとわかりにくいんだけど、アメリカでは、彼らが喜んでるのをひしひしと感じるんだよ。怒ってる人が入って来ても、カップルがケンカしてても、僕が演奏して、彼らの間の緊張をとってあげるんだ。僕がダンスチューンを弾いて僕もダンスして。そしたらけんかをやめるんだよ。みんなが笑顔になるんだ。みんなの態度を変えることが出来る。険悪なムードの人たちに、「ちがうちがう、君はこう感じるべきなんだよ」ってステージから例を見せてあげるんだ。ステージの上からじゃ何かができるわけじゃない。ステージから人をコントロールすることなんてできないしね。でも、辛そうな顔をしてた女の子とかが態度を変えて笑ってるんだ。それで、演奏が終わると、「今までの人生の中で最高の時間だったわ」って言うんだよ。「だって君は最初すごく怒っていたけど、今はこうだもんね。」ミュージシャンは人をひきつけるパワーがあるんだ。それに、人をハッピーにさせるパワーもね。僕にとっての最高の瞬間ってのは演奏だけで観客を幸せにさせた時だね。これ(ギター)はもう約40年間、僕が唯一もっているものだからね。これがだからもう、僕を最高に幸せにすることだよ。これからミュージシャンを目指す若者には、彼らが本当に必要だと思う夢を持ってもらいたい。「世界一のギタリストになりたい」とか、「世界一のシンガーになりたい」とか、なんでも。大きな夢を持つべきだと思う。日本にいるからって、制限を設けちゃいけない。グローバルに考えるんだ。MIには色んな国から、セミナーやオープンカウンセリングに来る先生たちがいる。だから、グローバルに考えることができるんだ。そして、一番大事なことはNEVER GIVE UP!絶対にあきらめないこと。どんなに大変で難しいことでも「落ち着け。もっと気楽にやれよ。」あきらめるな。そしたら夢は叶う。


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