小野 正利

活動がめまぐるしいヘヴィメタルバンド・Galneryusのヴォーカリストであり、MI Japan東京校VIT(ボーカル科)講師でもある小野正利先生からお話を伺いました。
冬休みの宿題がキャリアのスタート
Q1.音楽を始めたきっかけは?
中学2年生の冬休みに「教科書に載ってない曲でも、どんな楽器を使ってもいいからクラス内でグループを組んで練習をしてくるように」という宿題が出たんですね。音楽の授業ってあんまりみんな真面目に受けないから、クラシックの音楽の先生が見かねてって感じで。そのときにアコースティックギターを弾ける友達が僕を誘ってくれたんですよ。
それで冬休み中に2人で練習して、休み明けの発表で「小野いいじゃん!」っていろんな人に声かけられて、嬉しかったんですよ。中学校の人気者と言えばスポーツの出来る人でしたから、スポーツが苦手な僕は何か一つ誇れるものが欲しかったんだと思います。
Q2.そのときに演奏した曲は?
アコースティックグループ「雅夢(がむ)」の『愛はかげろう』でしたね。
当時のヒット曲で譜面をみたらコードも簡単だし、これなら初心者でも出来そうかなと思ってこの曲を選びました。発表会が盛り上がって、音楽に興味を持ってくれたことが先生も嬉しかったんでしょうね。
それが定期的に行われるようになり、各クラスで選抜した1組を集めて放課後に発表会が行われるようにもなったりして。何も無い日も学校に楽器を持っていって好きなもの同士でテクニックを競い合ったり、新しい技を教え合ったり、結構音楽漬けの毎日でしたね。
Q3.高校生時代の活動は?
高校では友達とバンドを組んでました。オリジナルをやろうという発想はまだ無かったから、THE ALFEEや浜田省吾さんのコピーバンドをしていました。
個人的には長渕剛さんの曲が好きで、一人で練習していましたね。
学園祭に出たり、同じ学校内でバンド組んでいた人達とイベントを主催してライブハウスなどで演奏したりして、充実してました。
Q4.そこからヘヴィメタルに移っていったのはどういった経緯があったんですか?
屁理屈っぽく聞こえるかもしれないですけど、僕はこだわらないのがこだわりだと思っているんですよ。芯にあるのは歌うのがとにかく好きだって事で、その自分の歌をどう目立たせるか、その時々の楽曲によってどう活かせるかをいつも考えています。
大学で音楽のサークルに入った時、先輩に「お前は声が高いからハードロックをやった方がいい」と言われて、その先輩といっしょにLed Zeppelinのコピーバンドを始めたんです。その時僕はLed Zeppelinを知らなくて、初めに聴いた時は「なんじゃこりゃ?」って感じだったんですけど、これをキチンと歌えたらかなり目立つだろうなと思い引き受けました(笑)そのころからジャンルに関係なく歌ってましたね。
そのバンドで活動しているうちに、サークルのOBの人が組んでいたバンドに声をかけられて、ヘヴィメタルの道に進むことになりました。
大学を中退して、バイトしながら月2回、多くて3回くらいライブハウスでライブをしてました。
バンド活動の終わり、ソロ活動での大ヒット
Q5.バンドの活動からソロ活動に移ったきっかけは何だったんですか?
バイト先の飲み屋がバンド演奏をしているようなお店で、たまに社長に言われて歌うことがあったんですね。ある日それを聞いていた音楽事務所の社長に声をかけられて、ソロでポップスでプロを目指してやらないかと誘われたんですよ。
バンドはやってたけど、デビューってのは1つの夢でしたからね。バンドを辞めて8ヶ月後にデビューしてました。
91年の夏からデビューに向けてデモテープを作って、ありがたいことに数社から声をかけてもらって、レコード会社が決まって、92年の年明けには1stシングルのレコーディングに入ってましたね。そのシングルがリリースされた頃にはすでに『You're the Only...』をレコーディングしてました。
その年は、5月、6月、8月、11月にシングルを出して、その間にアルバムも1枚出して、翌年の2月にまたシングルを出して、さらにその後に2ndアルバム…と、ずーーっとレコーディングをしてましたね。
デビューして3ヶ月で『You're the Only...』がドラマの主題歌に選ばれて、ヒットして、自分でも何だかおかしなことになっているって感じでしたね(笑)
でもこのヒットはドラマの主題歌の『You're the Only...』がヒットしたのであって、小野正利の『You're the Only...』がヒットしたわけではない、と思ってました。正直「この先どうしようかな?」と妙に冷静でしたね。
Q6.その後の活動の仕方はかなり試行錯誤されたんですか?
ポップスを自分でどういう風に歌っていこうかまだ定まらないうちに大ヒットしてしまったので、ほとんどまわりのスタッフにまかせきりで。
意識して自分自身の歌唱力やスタイルを考えるようになったのは30歳を過ぎてからかもしれません。それと同時に、必要にせまられてなんですがコンピューターで音楽を作るようにもなりましたね。「自分をプロデュースしていく」という意識が身に付いたのもそれからだったと思います。
ヘヴィメタル再び
Q7.ポップスからヘヴィメタルへ戻った経緯を教えて下さい
僕は必要とされればよっぽどのことが無い限り、断らないタイプなんですよ。
ものまねの番組にもしばらく出てましたしね。何でも面白がって乗るんですよ(笑)
Galneryusに関して言えば去年の3月にプロデューサーから連絡があって、ゲストとして参加したのが最初でしたね。「ハイトーンは嫌だよ」って言っておいたんですけどね(笑)
Q8.今の小野先生のミュージックライフは充実してますか?
去年の11月から今まで、ずーっとGalneryusなんですよ(笑)去年の11月にLOUD PARKに出て、その後から新しいアルバムの制作に入って、それからプロモーションとツアーに出て…。他にもSyu君のソロアルバムに参加したり、聖飢魔Ⅱのトリビュートアルバムに参加したりで、今やっと少し落ち着いている時ですね。 もうちょっとしたらまたレコーディングに入ります。ヘヴィメタルをまた歌うようになって、ノドもちょっとビックリしてますよ(笑)
小野流ヴォーカルスタイル

Q9.いつごろ小野先生は自分のスタイルを発見したんですか?
2003年の4月にMIに入るまでは僕はずーっと自己流でやってきたし、レッスンみたいなのも受けたことが無いんですよ。講師になるってことで色々な本を読んだりして、そこから自分の歌唱スタイルを意識するようになりましたね。自分の歌い方を分析すると意外とこだわり持って歌っていることを再発見しました。
世の中、歌が上手い人はたくさんいると思うんですよ。そういう人を見たときに「上手いな~」と思う事はあっても「ヤバいな~」と思ったことはないですね、自分の存在が危うくなるみたいな。この歌唱スタイルが僕のスタイル、他に無いスタイルと自分に言い聞かせて歌ってます(笑)
Q10.音楽業界の変化はどんなところで感じますか?
たかだか20年くらい前まで、CDショップにCDが並ぶということはプロの証の様なものだったんですよ。そこでまずプロとアマチュアの線引きが出来てましたよね。でも今はCDを作るってことがすごく簡単になっているし、配信とかも個人で出来るようになって、プロの定義が曖昧になってると感じます。
それから、僕らの時代は「ライブをたくさんすること」しか、お客さんを集める手段がなかったんです。
始めは3組のバンドのイベント形式でライブをやっていたのが、2組になり、そしてワンマンライブをやるみたいな。そうしてお客さんがいっぱいになると噂を聞きつけた業界の人が観に来て、デビューに至る。
そういう叩き上げみたいな形でしかロックやヘヴィメタルのバンドがデビューする手段はなかったんですね。
今は逆にデビューに至る道筋がたくさんある分、これを集中して頑張ればいいんだというデビューまでの道筋を見つけるのが難しくなっているのかもしれませんね。
Q11.最後にプロを目指している人達にアドバイスをお願いします。
好きで始めたことは好きだという気持ちを忘れずに。
気持ちを力に変えて、しっかりと自分らしさを見極めながらこだわりを持ってやり続けていって下さい!









