MI JAPAN TOKYO
  • RSS 2.0
  • Twitter
  • Myspace
  • Youtube
  • Facebook

e-ZUKA

 

e-ZUKA_top.jpg

 

アニメソング界で活躍するGRANRODEOのギタリスト、e-ZUKAさんのセミナーが行われました! 

ギターを始めたきっかけは?

兄と従兄の影響で音楽を聴くようになって、小3の時にKISSと出会いました。KISSのショーとしてのロックのかっこよさに衝撃を受けて、音楽をやっていた高校生だった従兄のお兄さんに使っていないギターを借りて、始めました。 

初めてのギターはどんなギターでしたか?

グヤトーンのギターでしたね。トレモロアームはどこかに行っちゃってて、アームをさすの穴のところにドライバーをさして使っていました(笑)それを一回使うと、もうチューニングが狂っちゃうような、そんなギターでしたね。

 

自然に出来上がっていた音楽環境

 

ギターを始めたころはどんな曲を弾いていたんですか?

その従兄のお兄さんから習って、始めはベンチャーズを弾いてました。同い年の友達に同じ様な音楽が趣味のお兄さんやお姉さんが多くて、音楽の趣向はその人達が聴いていた音楽から影響を受けましたね。田舎だったから、誰かが新しい楽器を買ったと聞きつければ、その人の家に行って、弾いたり、叩かせてもらったり。練習スタジオとかは無かったから家がスタジオ状態で、家族も近所の人もよく許してくれていたと思いますよ(笑)  

音楽学校に入るきっかけは?

僕自身、音楽学校というものがあることも知らなかったし、音楽学校に入るなんて発想は初めは無かったですね。 中学か高校くらいだと思うんですけど、音楽雑誌の中の記事に「来日中の誰々がどこどこ学校でクリニック開催!」みたいな記事が載ってて、なんとなくそれで存在を知ったくらいでしたね。 高校3年生の夏くらいにそろそろ進学先を考えなくちゃヤバいなと思って、思い切って父に音楽学校に行きたいと話をしたら「男だったら好きなことをやればいいんだ」と言ってくれました。

学校の入学試験のときは、譜面と理論と実技と作文のテストがありました。 譜面は全く読めなくて、まずどこに「ド」があるのかすらわからなかったですからね(笑) 理論は好きで自分でも勉強してたし、音楽学校に入るならってことでジャズの通信講座である程度勉強をしていたので問題なく出来ましたね。 実技の方もクリアーして、最後の作文は『将来の夢』という課題でした。僕は、全然プロになんかなれるもんじゃないと思っていたので、田舎に帰ってギターの先生をやりながら楽器屋をやりたいと書いたと思います。それから授業が始まったんですけど、まるで大したことが無い奴が多くてビックリしましたね(笑)

しかも夏のライブイベントが嫌で辞めてしまう人が多くてね。最終的に残ったのは田舎から出てきた人ばかりでした。いいか悪いか学校の授業よりも周りの友達からいろいろと教わることが多かったですね。僕の知らないジャンルのフレーズを友達に教わったり、逆に僕の得意ジャンルのフレーズを教えたり、お互いを刺激し合っていい関係を築いてましたね。

 

スタジオミュージシャン→アニソンとの出会い→GRANRODEO

 

e-ZUKA_pin.jpg

卒業後はどんな活動をしていましたか?

ツテやコネもなかったし、若かったからツッパってたところもあって、在学中時々来ていたローディーの募集なんかも「俺は世界一の速弾きギターリストになるんだよ~」なんて思っていたから全く目もくれずに、ディスカウントショップで働いてました(笑) でも、やっぱり朝8時から夜8時まで働いているとギターを弾く時間もなくなるし、卒業した途端に不安になりましたね。 卒業して少し経ってから、幸運にも母校から「ローディーやってみない?」って話が来て、今のままじゃいけないと思い、その仕事を受けて音楽の世界に入った感じです。 ローディーを始めて2、3年後にギターの講師をやってみないって話が来て、講師の仕事も始めました。ただ、その2つの仕事をしていても食べていけなかったので、印刷所の日雇いのバイトもしてました。 で、そうこうしているうちに周りのバンド仲間からレコーディングの仕事を紹介してもらうことになって。 レコーディングに関しては当時、渋谷系って言われていたピチカートファイブとかムーンライダース周辺の人達の作品によく参加してました。 それから高岡早紀さんのツアーに参加したり、全然売れないロックミュージシャンのバックでギターを弾いていたり、徐々に仕事の幅が広がりましたね。

アニメ関係の音楽に携るきっかけは?

そういう色々な仕事の中の一つにキングレコードのアニメ関係の仕事があって、作曲の仕事を依頼されました。 最初に作った曲がアニメ『3×3 EYES』で使ってもらえることになって、続けて作った2曲目も採用されて、「才能あるのかな?」なんて思ってましたね(笑) それまでアマチュア時代に友達にどうしてもって頼まれて一曲作ったことくらいしか作曲の経験がなくて、始めは曲の作り方なんてよくわからなかったな。

それからアレンジの仕事などを経て、今僕が在籍している会社「ランティス」の前身の仕事をするようになりました。その頃は鬼の様な数の作曲をしましたね。締め切りは厳しいし、今日言われて3日後に仕上げとか、夜に連絡が来て次の日の朝までとか、かなり鍛えられました。

1999年にランティスが出来て、僕が栗林みな実ちゃんの楽曲を一番最初にアレンジしたのが『Rumbling hearts』という曲で、今考えると僕のルーツになる様なハードな曲でしたね。 そのときはこの曲がいい曲なのかどうなのか、分からなかったんですよ。僕のイメージだとアニソンってもっとゴテゴテしていて、下世話なイメージがあったんですよね。 でもこの曲はわりとシリアスで、シンプルで、ギターソロなんかはレインボーみたいにハードだし「いいのかな?」と思いつつもこのカラーを続けていたら一つのスタイルが確立されていきました。 その頃に谷山紀章と出会って、僕の30代最後の思い出としてGRANRODEOがスタートしたんですよ。 

e-ZUKA_photo_session.jpg

音楽への情熱を感じる瞬間は?

アニソンに関わるようになってから、20代の若い頃に戻った感覚になりましたね。 スタジオミュージシャンの頃は「仕事なんだからキッチリやらないと」みたいなスタンスだったんだけど、バンドやセッションをやっていく中で「楽しいな」と思う感覚を再確認していった感じですかね。 GRANRODEOを結成してからは好きなことを思いっきり出来て、今まさに音楽への情熱を感じています。技術もさらに向上しましたね。

 

来るべき日に向けて備えよ、努力は報われる

 

プロを目指している人達にアドバイスをお願いします。

何年やってもいつ認められるかわからないし、好きなことじゃないとうまくいかないし、やっぱり自分の信じた道を進んで行くのがいいんじゃないでしょうか。人生において一番大事なのはタイミングだと思います。その来るべき日に備えて日々努力することが大切です。

アーティストとして食っていくというのは大変かもしれないけど、アーティストとして道を極めて行くのはライフワークとして出来るわけだから。極めることに没頭すればいつか認められる日が来ると思います。  

 

Page Top